脱落系女子、

線維筋痛症と闘う、ぼくのゆるい備忘録。

「線維筋痛症」のわたしが人生に絶望したバレンタインの午前4時。

 

 

仕事が出来ない。呼吸もままならない。線維筋痛症は生き地獄です。

 

ねむれずにバレンタインの朝を迎えた。

しあわせをともに分かち合う人間もいない、

そう、いつもと変わらぬ絶望の朝だった。

ねむろうにも、いたむのだ、身体が。

それは、痛みだけで意識を手離してしまえるほどの、

鮮烈なもの。

それなのに、その痛みで目を覚ます。

くりかえし、繰り返し。

呼吸をしようにも背中が硬直していて、

じょうずに出来ない。

内臓が軋む音すらする。

毎夜毎夜、それを抱えながら、時に、憂き世のやるせなさに喘ぎながら、次の日を迎える。

わたしにとってはそれはもはや、朝ではない。

地獄のような夜の延長線。延長戦なのである。

 

わたしは今日、仕事を休んだ。

 

全身が常時、激しく痛む病、線維筋痛症。これだけ文字にしたってその苦難はきっと、誰にも伝えられないだろう。

とにかくベッドから起き上がれなくて。泣く泣く、仕事を休む連絡をした。

ここでふと、今後どうやって生きてゆこう、と、お決まりの自問自答が始まるのだ。

まともに働くことも出来ない。事情があって家族を頼れない。(家族については今後語ることにして。)

病気を持ちながらも、貯金がゼロでも(このあたりも追々語ることにして。)ひとりぐらしをはじめたばかりの22歳のわたしは、ひどく悩んでいた。

こんな身体なので、まともに就職するのはこわく、アルバイトで生計を立てている。

我ながら馬鹿だとは思うが、それも、アパレル販売員。夜はバーテンダー見習い。

立ち仕事。体力仕事。

いやあ……ほんとうに、自分でもどうかしている。

 

? なぜ、バレンタインの朝に、ことばを紡ぎたくなったのか。

 

わからない。

ただただ、わたしは、生きたいとおもった。

 

生き地獄を生きると決めた。

 

その、決意表明の、朝なのだ。

絶望して、人生脱落系女子となったからこそ。

一周まわって開き直った。

そうだ、わたしは一度、死んだのだ。

 

線維筋痛症にくるしむひと。

線維筋痛症を知らぬひと。

この病気でなくても、ひとはみな、生きながらにして傷を抱えているから。

ひとりひとりと、ことばを通して、魂の交流がしたいと思った――――、なんて綴るといささか大仰。

 

もっとシンプルに、ゆるく、わたしが生きた一日を。

触れた空気から感ずる香りを。

絶望しながらも諦めきれない悪あがきを。

一秒ごとに死んで、一秒ごとに息を吹き返し続ける

茶番劇を。

 

ここに遺して。

「わかるー」「それなー」「生きてるだけでえらーい」とか、

いわゆる青春っぽいことがしてみたい。

ここはあれです。ファストフード店

 

そしてまあ、あわよくば。この病気がどういうものなのか、理解してもらいたかったりとか。この病気と上手に生きてゆく方法を模索したかったりとか。

そんな魂胆があったりもする。

 

 

! だから、ブログをはじめた。

ずっと挑戦してみたかったことをはじめた。

病気を理由にして逃げてばっかりだったから。

その病気を利用して、すきなことをやってみようとおもった。

 

 

いまはひとまず、ここまで。

わたしというにんげんが、どんなにんげんなのかは、きっと次の記事あたりで。

たぶん。おそらく。